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実は「社長に直談判」もオッケーな会社

インタビュー風景

卒業生インタビュー

実は「社長に直談判」もオッケーな会社

清田いちる
ニフティ株式会社 企画担当 ➡ シックス・アパート株式会社 新規事業担当シニアディレクター

何か社会にインパクトを与えるというか、「文化を創る」っていうことがしたかった。

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-まずはニフティとの出会いからお聞きしてもよろしいですか?

清田 1994年に新卒でニフティに入社しました。僕は当時、何か社会にインパクトを与えるというか、「文化を創る」っていうことがしたくて、それができるのはメディアしかないと思い込んでいたので、業種をマスコミだけに絞って就職活動していました。でも、結果は全部不合格。焦って、とにかく合同就職説明会に行きまして。説明会は大賑わい。どこのブースも長蛇の列ができていました。しかし、一つだけ、誰も並んでないし、自分とあまり年の変わらない女の子が二人でゆるふわに座ってるだけのブースがあったんです。それがニフティでした。話を聞いて、パソコン通信(当時は商用インターネットはなかった)について調べたら、「ネットって新しいメディアなのかもしれない」と感じ、メディア企業に入るようなつもりで入社しました。ちょうど『ニューロマンサー』や『コンピューターはカッコウに卵を生む』といった本を読んだ直後で、コンピューターネットワークというものにカルチャー的な興味を抱いていたことも理由だと思います。

-その時のニフティの印象は?

清田 僕の好きな雰囲気でしたよ(笑)。集まってる人たちはみんな怪しげで、けど目がキラキラしていて、勢いがある。「今はまだ何者でもないけど、俺たちがこれからの時代を担うぞ!」っていう感じ。

-入社時のエピソードといえば以前、上司の本名(ほんな)さんのことをブログに書かれていて、すごく面白かったんですよね。

清田 そうですね。僕は自分では、サービスの企画部隊に行くと思い込んでいたし、研修中は周囲もみんなそう言ってくれていたんですよ。そしたら、配属発表で「君はメンバーサービス部(カスタマーサポートの部署)だ」って言われて……その時の絶望感といったら! しかし、「FREEDOM」と書かれたTシャツを着て現れた部長の本名さんを見て、たとえどこにいても自分は自分を自分の活かしたいように活かせるんだということが、なんというか……瞬時に把握できた、理解できたんですよね。それで「すぐ辞めずに、ちょっとここで働いてみようかな」っていう気持ちになりました。10年以上経って、後で聞いた裏話によると、当時は「清田くんをコントロールできるのは本名さんしかいない」というのが人事部の結論だったそうで、それでカスタマーサポートに配属したっていう経緯があったらしいです。だから本名さんもある程度覚悟しててくれていたんだと思います。こいつはカスタマーサポートのプロとして育てるんじゃなくて、いろいろ好きなことをさせようと。それでサポートの仕事の合間に、サーバー立てたり、プログラミングしたり、マニュアルを作ったり、マルチメディアなCD-ROM作ってバラ撒いたり、そういうのをいろいろ自由にやらせてくれました。僕は「企画がしたい」っていう自分の気持ちを、与えられた職責の範囲内で消化できてました。今思うと本当にありがたいことでしたね。

カスタマーサポートでエンドユーザーのことを肌感覚で知ったから、地に足がついた企画屋になれたなって。

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-カスタマーサポートの仕事は何年間やられていたんですか?

清田 94年から5年間ですね。

-激動のインターネット黎明期ですね。サポートでもいろいろなことがあったんじゃないですか?

清田 はい、本当にいろいろありました。当時はパソコン通信の入会者数が爆発的に増えていた時期。リテラシーのない人も入会しようとしていて、そういう人たちをネットに繋げるようにするのって大変なんです。まず「パソコンはありますか?」って聞くんですよ。「Windows95なら買ってきたよ」「あー、じゃあその次に、パソコン買わないといけないですね」みたいな(笑)。あるいは、社会的な事件に関連したことの問い合わせ対応とか、「スパゲッティカルボナーラの作り方教えてください」とか、会員同士の恋愛相談とか。

-本当にいろいろあったんですね(笑)

清田 でも、あれが自分のベースになったんだと思います。エンドユーザーが「わからない」というのは、本当に心の底からわからないんだってこと。でもそれは初めてだからに過ぎないのであって、ちゃんと説明すれば、人は元々は賢いわけだから、わかってくれる。この二重性が、頭での理解じゃなくて、身体に染み込んだ。たぶん新入社員のときに、最初からサービス企画の部署に行ってたら、僕みたいな人間の場合は、根拠のないエリート意識を持って、ダメになっていたかもしれないです。でも実際には、泥臭いことも面倒くさいことも全部くぐり抜けさせていただいて。その上でサービスを企画するから、ある程度は地に足がついた企画屋になれたなと思います。そういう意味で、本名さん以下メンバーサービス部の先輩方には感謝しているし、あと、5年間も絶対サービス企画の部署に行くことをあきらめなかった自分も偉かったと思います。

当時はネットじゃないところから情報を集めてくる必要があったし、それを強く意識していましたね。

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-5年経ってサービス企画に異動したきっかけは何かあったんですか?

清田 人事部としては最初からそのつもりだったと思うんですよね。「清田くんはサービス企画の部署に行かせるつもりだけど、その前に、あまりにも社会人としてNGなので、本名さんのところでいろんな経験だけは積んできて」っていう期間が過ぎたからだと思います(笑)。

-企画の部門に行って、その後どういうものを作られたんですか?

清田 最初は他の人が立ち上げた企画に参加して、プロジェクト運営をサポートする、という感じでした。うるまでるびさん監修のInterPotとか、ニュースサイトとか。動画配信実験とか。

-デリポップもやってましたよね。

清田 デリポップがたぶん最初に、僕がリーダーとしてゼロから作ったサービスですね。デリポップは、当時勃発していたメッセンジャー戦争に、ニフティとして参戦したというプロジェクト。「イラスト」を特徴に据えて、イラスト集めの部分で異常にはりきりました。雑誌やフライヤーで見つけた100人以上のイラストレーターに依頼したと記憶しています。メインのイラストを描いていただいたのは、今はもう畏れ多いくらい大御所になった100%ORANGEさん。でも僕が最初に会った時は、普通の会社員で、イラストは趣味の延長みたいな感じだったんですよ。でも僕がすっかり彼らのイラストに惚れ込んで、イラストを描くだけじゃなくて、アイコンも作ってもらったり、『ドーナッツ!』というマンガまで連載してもらって、それが書籍化してヒットしたりして。今って、だいたいネットで調べられますけど、当時はネットじゃないところから情報を集めてくる必要があったし、それを強く意識していましたね。

-デリポップってパソコンとケータイでシームレスに使えるものだったじゃないですか。当時そういうものはなかったし、ステータスの概念とかも新しかったですよね。ステータスがコミュニケーションツールになったり。

清田 ステータスがすごく使われてるな、というのは気づいていたんですよね。あれでステータスの履歴を記録してれば、もうTwitterとほぼ同じです。今でもときどき思い出しては悔しがります(笑)。

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場があって人が集まるんじゃなくて、人同士がネットワーク状に繋がるっていう方が、今からコミュニティ作るんだったら新しいんじゃないかと。

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-ココログはどうしてやろうと思ったんですか?

清田 当時僕は、「コミュニティのニフティ」というのを復活させるための部署にいたのですが、たまたま雑誌で「ブログ」というものを知りまして。ブログっていうのは新しいコミュニティ・プラットフォームになり得るんじゃないかと考えたんです。場があって人が集まるんじゃなくて、逆。人がいて、人がいくつかのカテゴリという場を作って語る。そして、人同士がネットワーク状に繋がる。この方が、今からコミュニティ作るんだったら新しいんじゃないかと。

-それからどう展開したんですか?

清田 当時社内でブログブログ言ってるのが、僕ら含めて3人いたんですね。僕らのチームと、あとアメリカに長期で調査出張していた社員と、当時ニフティの開発部にいた伊藤直也くんと。企画、海外動向調査、エンジニア。この三方にいる若者が「ブログ」と言っている。そこで社長が「どうやらこれはただの新技術じゃないぞ。新しい潮流なんじゃないか」と考え、社長直属の部隊ができて、5月末から始めて12月頭にリリースしました。この間に稟議を通したり関係部署に説明したり開発部やツール提供元と密に連携したりコンテンツを充実させたり……携帯電話3本で同時に会話しながらcss書いたりして、人生で一番働いた時期でしたね。社内のメンバーもみんなすごかったし、社外で手伝っていただいた方も、「WIRED」「サイゾー」の創刊編集長で、「FREE」監修者の小林弘人さんとか、山本一郎さんとか、今LINEの執行役員の佐々木大輔さんとか、今思うとドリームチームみたいでしたね。結局はニフティは初期段階でかなりブログに貢献できて、僕にとっては、ココログは「文化を創る」という当初の夢につながっていきました。

今は悩みの時期でもありますね。自分の今までのやり方に疑問を持ったり、体力の衰えを感じたり。

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-ニフティを辞めたきっかけは?

清田 ココログの仕事を通じて、日本でもネットベンチャーのコミュニティが活性化していることに気づきまして。でも、ニフティはそこにはいない。ニフティはそういう世界から離れていたんです。それで、外で勝負したいと思ったんですよね。自分が外の世界で通じるかどうか。それで辞めた。2006年、34歳ですね。

-ニフティに12年ですか。そこから今まで10年弱ですね。ニフティを離れた後、どうされたのですか?

清田 しばらく休んだあと、ギズモード・ジャパンの初代編集長になり、同時にシックス・アパートに入社しました。ギズモードの編集長は6年くらい続け、今は「長老」という肩書でアドバイザリーをさせていただいています。シックス・アパートではいろんな新規事業を担当して、今も継続しています。最近は「ShortNote」というサービスを立ち上げたばかりで、毎日それを運営し改善しています。

-まだまだ挑戦中なんですね。

清田 基本的にはバッターボックスには立ちたいタイプなんで(笑)。ただ、今は悩みの時期でもありますね。自分の今までのやり方に疑問を持ったり、体力の衰えを感じたり。

-清田さんでもそんな風に思うんですね。ニフティを辞めてどうというよりも、人生的に踊り場感があるっていう感じなんですね。

清田 あると思います。ニフティもそうなんじゃないですかね?人間でいうと40代なんだと思うんですよ。今は飯は食えてるんだけど、次にどうしたらいいか見えない。それに、今の状態が今後10年、20年続くとも思えない。

僕がココログやった時は社長室に直談判に行ったんです、半ズボンで(笑)。そういうことを若者にやって欲しいと思ってる会社だと思うんですよ、ニフティって。

-「Change!」ってどういうことだと思いますか?

清田 会社が「Change!」と言うときは、大きなリスクをとって、バランスシートを崩してでも投資する、ってことかな。小規模に試しているだけでは、「Change!」は成し得ないと思います。

-外から見て、今のニフティってどう見えていますか?

清田 ニフティは、ものすごく恵まれてると思うんですよ。人は優しいし、自己資金はたくさんあるし、技術力もある。やろうと思えば何でもできる。ただほら、40代だから(笑)、腰が重くなってくる。僕がココログやった時は、クビになる覚悟で、社長室に直談判に行ったんです、半ズボンで、「ニフティはブログをやるべきなんです。話聞いてください」って(笑)。そういうことを若者に期待している会社だと思うんですよ。実は。ニフティって。

-最近注目しているトレンドはありますか?

清田 SNSの次っていうのは興味がありますね。最近「ソーシャル疲れ」という言葉をますます耳にするようになっているので、そろそろ、たぶんあと3年以内くらいに、まるで新しいものが出てきて、それがメジャーになるんじゃないかな。

今やっておくべきだと思うことを実際にやった人とやってない人とでは、その後の人生の成功確率は全然違うと思います。

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-これからの若者が持っていた方がいいスキルはありますか?

清田 たとえエンジニアでも、営業でも、人事であろうとも、データ分析のスキルは身につけると強いと思います。

-なぜそう思うんですか?

清田 データって、直感とか経験とか権力とかに対抗して、会社内で自分のしたいことをするための武器になるからです。今はすごくたくさんのデータがあるし、解析ツールもどんどん進化しているから、昔ほど専門家にならなくても活用することができる。

-清田さんがやってきたことを考えると、意外な感じがしますね。

清田 もちろん思いや直感やセンスや経験は大事だと思いますが、そういうものを他人に伝えるためのツールとして、数字の説得力は強大ですからね。もう学校の授業だと思って、深くあきらめてマスターした方がいいと思います。

-最後に、これからIT業界で活躍する若い人達にメッセージをお願いします。

清田 これからますます、世界はダイナミックに変わっていきます。どう変わるかはわからないけど、自分なりに未来を具体的に想像して、今やっておくべきだと思うことを実際にやった人とやってない人とでは、その後の人生の成功確率は全然違うと思います。お互いがんばりましょう。

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  • 清田いちる 清田いちる シックス・アパート株式会社 新規事業企画シニアディレクター
    小鳥ピヨピヨ
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